お役目終了後の我らが母校の姿

投稿者: 田中 二昭  港(全)18期A   

定年後、隣にいたと云う縁があって慈恵大学病院にお世話になりました。
病窓より眺めると廃校になって久しい我等の学び舎が眼下に見え、
その後通う都度、懐かしく想い出の港工高校舎を廻ると、
ある日突然に解体工事が始まっていました。
・・・これは仲間達への「母校校舎消滅の記録」です。

          ※写真をクリック(タップ)すると拡大表示されます 

校舎解体状況の記録
我らが母校の姿  撮影日&キャプション
 港工校舎20111223-1

 【2011年12月23日撮影】
隣接15階の窓から眺めると懐かしい母校の姿が・・・

 港工校舎20111228-1

 【 2011年12月28日撮影】
日比谷通り側より眺める母校の雄姿
冬場の光を浴びて
「お前ら元気でやってるか?」
と言っている。

 港工校舎20120418-1

【2012年4月18日撮影】
正門より校庭を眺める。
この校庭がクラスメートが活躍したプールや、
文化祭前になると姉妹校の戸板女子や東京女子の
小娘が来るので、
男同士が一生懸命フォークダンスを練習した事を思い出す。

 港工校舎20120418-2

【 2012年4月18日撮影】
この校門を初めて通った日が懐かしい。
合格発表の日だったかな~?
大雪の記憶もあります。

 港工校舎20120418-3

【 2012年4月18日撮影】
校舎西側の風景。
境界の塀と校舎との隙間の通路、皆でタムロしたり・・・、蕎麦屋へのトンズラ通路でもあったナ~。

 港工校舎20120418-4

【2012年4月18日撮影】
ついでに愛宕山にも登った。
昔と比べるとエレベータも設置されて登りやすいが、でも男坂を頑張って登った。
母校の周辺が高層マンションに変わって見晴らしが悪いが、母校の体育館が良く見える。

港工校舎20131205-1

 【2013年12月5日撮影】
いつまで保存?と思いつつ眺めてきたが遂に囲いが・・・。

港工校舎20131205-2

 【2013年12月5日撮影】
通路側へ周ると看板が・・・。
今の若い連中は・・・と云いたくは無いが、 学び舎を表す「校」の字が欠落していたのは 残念です。
でも、紛れもなく「解体ショー」は始まっていました。

港工校舎20131205-3

 【2013年12月5日撮影】
通路の先は、校舎の1、2階を壊して廃材搬出口となっていました。
左手壁の横長に黒く見えるのは黒板の跡かな?
奥に見える実習棟も解体が始まっています。

港工校舎20131205-4

 【2013年12月5日撮影】
校庭側より見ると、体育館は健在のようだが、その下側は解体が進んでいた。
手前側の機械実習棟の裏側は当時民家だった様な記憶だが、工事の為か2箇所目の搬出入口となっていた。

港工校舎20131205-5

 【2013年12月5日撮影】
左手が機械実習棟、右側が自動車実習棟。
外側は職員駐車場、【故】福島先生のオールドRSクラウンがいつも駐車していたよネ。

港工校舎20140120-1

 【2014年1月20日撮影】
段々姿が消えていく・・・。
校舎は1階の一部を残すのみ。
防護壁も解体始まる。
消えつつある母校の姿。
我々にとっては「釜の一部」だったヨね。

 

 港工校舎20140310-1

 【2014年3月10日撮影】
2か月後に行くと何も無くなっていた。
3年間くぐった正門のスロープと、体育館(元講堂)脇から続いた木立がその位置を示すように残っていた。

 港工校舎20140310-2

 【2014年3月10日撮影】
雪解け水かな? 窪地には水溜まりが、   土の部分には雑草も・・・。
修学旅行で一部芭蕉の足跡も辿ったが、  奥の細道の終点、平泉の中尊寺にあった芭蕉像や石碑を思い出す。
「夏草や 兵どもが 夢の跡」

 港工校舎20140310-3

 【2014年3月10日撮影】
そして、何事も無かったかの様に境界フェンスを作る職人さん。
本当に、ほんとに
  ホントに、ホントニ
    ご苦労さん!!
               =完=